飯島愛さんを追悼した、2月6日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへSP』(TBS系)は、高い視聴率を叩き出しました。
飯島さんの残したブログには、今もファンたちからの温かい書き込みが続いています。
そんな飯島さんの、知られざる素顔に迫ります。
飯島さんの中学時代とは?
そして人生を変えたリンチ事件とは?
詳細は→ Geinou Ranking
厳しくしつけられた子供時代
飯島愛さんの地元は、江東区亀戸です。
ここに、「五之橋」と呼ばれる橋が架かっています。
(以下引用)
「あいつ、五之橋の下でリンチされたんですよ。
あいつが決定的に変わったのは、あのことがあってからです……」
(以上引用 フライデー)
とは、飯島愛こと本名・大久保松恵さんの中学時代の友人の言葉です。
一体なぜそんなことになったのでしょうか。
それには、飯島さんの生い立ちに触れなければなりません。
飯島さんの両親は、しつけに厳しく、英才教育に夢中でした。
その姿は、飯島さんの自叙伝『プラトニック・セックス』にもたびたび登場しています。
(以下引用)
<笑わない父親の隣で、口数の少ない母はいつも目を吊り上げていた。
母からすれば子どもたちが叱られるということは、遠回しに
「お前の教育がなっていない」
といわれているようなものだった。
「あなたのためだから、あなたのためだから」
ほんとにそうだろうか。
でも、それが母の口癖だった。>
(以上引用 フライデー)
お嬢様学校への進学に失敗し…
そんな両親が飯島さんに望んだ進学先は、お嬢様学校として有名な名門「東洋英和女学院」(東京都港区)。
しかし、飯島さんは東洋英和に進学しませんでした。
その受験失敗を恥じた両親は、せめて高校からでも東洋英和に進学してほしいと願い、飯島さんの自宅からは遠い、小学校の同窓生のほとんどいない「江東区立第三亀戸中学校」へと越境入学させたのです。
それは、亀戸地区の中では進学率の高い、「亀戸の学習院」と呼ばれる中学校でした。
飯島さんの両親が教育熱心なのも、中学受験を目指していたのも、地元では有名な話だったそうです。
当時では越境入学自体が珍しく、手続きも煩雑だったにもかかわらずその道を選んだ飯島さんに、近所では
『あの親なら』
と妙に納得していたのだとか。
90点でもなじられる日々
友達のほとんどいない三亀中で、とてもおとなしい印象だったという飯島さん。
学年で常に10位以内という好成績を修めていました。
しかし、同じクラスにどうしても抜くことができない女子生徒がいたため、母親からはなじられる毎日だったといいます。
(以下引用)
<あるとき、数学で90点を取った。
(中略)今度はきっと、ほめてもらえる。(中略)
「山口さんは何点だったの?」
「・・・・・・・・・・」
「4問も間違えているじゃない、どうしてできなかったの」>
(中略)
<私は、ただほめてもらいたかった。
父に、母に、一言
「がんばったね」
といってもらいたかった。>
(以上引用 フライデー)
唯一の味方・祖父の他界から始まる転落の日々
そんな、飯島さん中一の秋、飯島さんの祖父が他界しました。
両親の厳しいしつけにしょんぼりする飯島さんを、温かく受け止めてくれた唯一の安息の地であったのが祖父母の家だったのだそうです。
その、大袈裟でなく“救世主”だった祖父を失った喪失感は、飯島さんにとって計り知れないものでした。
そこから、飯島さんの“転落”が始まります。
付き合う友達が変わり、それまで出入りもしなかった地元のゲームセンターなどで遊びまわる日々…。
当時の同窓生の話では…。
(以下引用)
「当時は、制服のスカートの丈が長ければ長いほど“ワル”と見なされ、大久保(=飯島愛さん)もそのスタイルでした。
いま思い出しても、何であんなことしたんだか、わからないんです。
ある日の放課後の教室で、突然、スカートをパッとまくり上げて……。
腰を抜かすくらい衝撃を受けたんですけど、ちょっと自慢げに微笑んだ彼女は、いま思い出してもいやらしくなくて、なんて言うか、そう、ただかわいかった」
(中略)
この同窓生によれば、屋上でタバコを吸っているのを教師に見つかりそうになった時、松恵(=飯島愛さん)はタバコをすべて口に詰め込み、ムシャムシャと呑み込んでしまったという。
この“証拠隠滅”で救われた不良仲間は、「スゲェ奴」と一目置くようになった。
(以上引用 フライデー)
飯島愛を大きく変えた“リンチ事件
しかし、こういった派手な振る舞いが、“リンチ事件”を引き起こす原因となってしまいました。
中学2年生になったある日、飯島さんはいつも遊んでいる三亀中の女子生徒たちに呼ばれました。
待ち合わせ場所の五之橋の下に行くと、いつもと仲間の様子が違い…。
「てめぇ、イキがってんじゃねえよ!」
集まった女子生徒ひとりひとりから激しいビンタを喰らわされ、さらには土下座しての謝罪を強いられたといいます。
このリンチ事件以降、飯島さんは学校でもシカトされるようになりました。
もう、中学校は、飯島さんにとって通う必要のない場所になってしまったのです。
居場所を求めてたどり着いたのは…
その後、飯島さんが居場所を求めてたどり着いたのは、原宿代々木公園横の歩行者天国、いわゆる「ホコ天」でした。
※「竹の子族」の時代です。この方が有名。
(以下引用)
<ピーンと張り詰めていた糸がいったん切れてしまえば、あとは、ものすごい速さで堕ちていく感覚。
私はむさぼるように欲しいものすべてに飛びついた。(中略)
深夜徘徊、ドラッグ、売春、夜の歌舞伎町にはあらゆる非行への誘惑があった。>
(『プラトニック・セックス』より)
(以上引用 フライデー)
舞台が亀戸から歌舞伎町に移ったことで、飯島さんの生活は本格的に一変し、「堕ちて」いきました。
無断外泊もするようになり、両親はたびたび警察に捜索願を出しました。
補導されては父親から顔中あざだらけになるほど殴られたそうです。
救いの手を差し伸べた婦人警官
家出を繰り返し、衣服や食料を手に入れるために万引きを繰り返し、補導回数も積み重なっていきます。
ついには、東京都江戸川区の「江戸川少年センター」に連れて行かれた飯島さん。
当時の保護司の話では、少年センターの幹部の間で、飯島さんは
「カウンセリングによって更正する見込みはない」
と判断されていたそうです。
そうなると、センターではなく家庭裁判所を経て少年院に収容されることになります。
しかし、それを知った飯島さんを担当していた婦人警官・古川光枝さんが上に掛け合い、なんとかセンターでカウンセリングを受け続けることができたのだそうです。
この古川さんという人物を、飯島さんは『プラトニック・セックス』の中に「福島」という仮名で登場させています。
それくらい、古川さんは飯島さんにとって特別な存在でした。
(以下引用)
「古川さんは
『あの子は、なんとしてでも守りたかった』
とよくおっしゃっていました。
飯島愛さんがテレビで活躍している姿を見て、ほんとに嬉しそうに微笑んでいましたね」
(以上引用 フライデー)
少年センターに通いながら、何とか中学校を卒業した飯島愛さん。
その後、都内の私立高校に進学しましたが、わずか1か月で退学。
そして、両親や古川さんの前から姿を消し、ディスコで知り合った彼氏と埼玉県八潮市内で同棲生活を始めました。
それから約3年後、前出の中学の同窓生は、度肝を抜かれることになります。
久しぶりの飯島さんからの連絡を受け、自宅へ遊びに行った同窓生に、ワンレン・ボディコンで別人のように様変わりした飯島さんはこう宣言したのだそうです。
(以下引用)
「あたし、成人向けビデオの女優になるって決めたの。
ニューヨークに留学するためにはお金を貯めなきゃいけないんだもん」
(以上引用 フライデー)
続きが気になりますが、フライデーの記事がここで終了です(^^;)
以下次号、気になります。もの凄く!
それにしても、飯島さんって本当に波乱万丈の人生だったんですね…。
管理人不勉強なんですが、『プラトニック・セックス』読んだことなかったので、ホントに驚きました。
しつけのなってない家庭から非行は生まれると思われがちですが、決してそうではないんですね…。
子育てにおける愛情って、植物を育てるときの水と同じなんだそうです。
不足すれば、育つことはできない。
それどころか、枯れてしまう…。
飯島さんのご両親に、愛情がなかったとは思いません。
ただほんの少し、不器用だったのでしょう。
愛情を上手く子供に伝えることができなかった。
陳腐な言葉ですが、自分がおなかを痛めて産んだ子供を、憎む親なんていません。
いないと思いたい…。
飯島さん、亡くなる前にご両親とは和解できていたんでしょうか。
きっと、この先の記事にそういう話も出てくるんでしょうね。
次号、早く読みたいです…。
続きはコチラ。
⇒ 飯島愛 男に貢ぎつくしたホステス時代
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