SMAP独立解散騒動の全まとめ その1~騒動の発端はメリー喜多川のあのひと言

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国民的アイドルとして絶対的な地位を築いていた、SMAP
その独立解散騒動が突如として報じられ、日本中を揺るがせたのは2016年1月のことでした。
それから約2年がたち、SMAPは解散、5人のうち3人はジャニーズ事務所を退社し、新たな一歩を踏み出しています。

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今、改めてあの騒動を振り返ってみたいと思います。

SMAP略歴

1988年、当時光GENJIのバックダンサーを務めていたスケートボーイズのうち、中居正広・木村拓哉・稲垣吾郎・森且行・草なぎ剛・香取慎吾の6人で結成されたSMAP
グループ名は、ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏により、「Sports Music Assemble People(「スポーツと音楽をするために集められた人々」という意味)」の頭文字から命名されました。

しかし、グループ結成からCDデビューまで3年もかかるなど、当初はどちらかというと事務所では日陰の存在でした。
マネジャーすらついておらず、中居さんがメンバーにスケジュールを連絡していたとか。

その現状を見るに見かねて世話をしたのが、当時は事務員だったという飯島三智女史。
そのまま、いつしか彼女はSMAPのマネジャーになっていたといいます。

そして、当時事務所が距離をとっていたバラエティ路線へSMAPを売り込み、ドラマでも、事務所は方針として主演しか受けていませんでしたが、その方針を破り『あすなろ白書』に木村さんを2番手で出演させるなど型破りのマネジメントでSMAPをスターダムに押し上げます。
そして、人気者となったSMAPのブッキングを一手に取り仕切るようになりました。

ここから、SMAPと飯島さん、そしてジャニーズ事務所の確執は始まっていったのです。

参考SMAPを辞めさせたいのはメリーだけ!?全員残留を目指してジャニーズ事務所が密かに動いているらしい

突如として報じられたSMAPの独立解散騒動

2016年1月13日のことでした。
第一報はこちら。

SMAPに独立解散報道!木村拓哉が土壇場で飯島三智を裏切りジャニーズ残留、残り4人は退社の道へ…

飯島さんがジャニーズ事務所退社を決意、それに中居さん、草なぎさん、香取さん、稲垣さんが同調して退社の意思を伝えたものの、木村さんは残留することを決意した、そのため5人全員を連れて独立しようという飯島さんの野望が潰え、飯島さんの言葉に乗せられた4人が路頭に迷い、ジャニーズ事務所を退社する気配が濃厚となった…というのが当初の報道でした。

この話、実は裏があるのでは…という推測が後々まで様々なメディアで語られるのですが、それについては後述します。

この第一報から5日後、事態は急に、無理やりに収束します。
SMAP×SMAP』(フジテレビ)において、5人が生放送で全国に向けて謝罪する姿を放送したのです。

収束した、というか、ジャニーズ事務所はこれで幕引きを図るつもりでした。
今まで通り、御用メディアに都合のいいストーリーをでっち上げて報じさせ、都合の悪い報道は力で叩き潰し、裏切ったSMAPを受け入れた懐の深い事務所を演じながら、裏ではSMAPを飼い殺す…そんな青写真が描かれていたのかもしれません。

しかし、今はネット社会。
大手メディアのみを統制したところで、人の口に戸は立てられません。
この先、ジャニーズ事務所と木村さんは、加速度的に評判を落としていくこととなってしまいました。

参考ジャニーズ事務所も潰せなかった!SMAP存続決定の舞台裏…本当にメリー喜多川を説得したのはこの人だった

独立騒動の発端

なぜ、あの国民的アイドル・SMAPが独立を画策することになったのか…。
その発端は、週刊文春のとあるインタビューにありました。
独立解散騒動が報じられるちょうど1年前、2015年1月に掲載された、ジャニーズ事務所の女帝・メリー喜多川副社長のインタビューです。
詳しいインタビューの内容はこちらをお読みいただければと思いますが…。

クビ宣告も!メリー喜多川が飯島三智をボロクソに恫喝!週刊文春の前で繰り広げられたジャニーズ派閥問題のインタビュー詳細
週刊文春 メリー喜多川インタビューの全文要約内容〜飯島マネ糾弾でSMAP解散騒動へ~

ここで大切なのは、メリー副社長が言い放ったというこのひと言です。

メリー喜多川副社長は噂話を根拠に飯島マネージャーを叱責するわけにはいかないとしながらも、週刊文春の根拠をもった取材内容を聞くと
あんた、文春さんがはっきり聞いているんだから、対立する(という話が事実)ならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。
あなたは辞めなさいとと言いますよ

と厳しく恫喝。
恐れをなした飯島マネージャーは
「派閥なんて、私は天に誓って言った覚えはありませんので。
今まで生きている中で」
と最大限の表現で否定。

これが、あの騒動の始まりのひと言だったのです。

飯島氏の退職とSMAPの独立に向けての話し合い

この後、飯島さんは徐々に、メリーさんに追い詰められていきます。

(以下引用)
「飯島さんはメリーさんから、“辞めろ、辞めろ”とパワハラを受けたようなものです。
追いつめられ、退職の決意を余儀なくされました」(飯島氏の関係者)
(以上引用 週刊新潮)

インタビューから9か月後、15年9月から、飯島さんと事務所サイド…というか、メリーさんの話し合いがスタートしました。

メリーさんの主張は、ただ一つ。
“今後は勝手にSMAPのブッキングを行わず、事務所に決裁を仰ぐこと”
しかし…。

(以下引用)
「事務所としては、当初は命令違反となる仕事の入れ方を改めるよう、申し入れました。
しかし飯島さん側は
“メリーさんの指揮、承諾を受けてのビジネスはできない”
と切り返してきた。
これで協議の内容は一気に彼女とSMAPの独立問題に転じていった」
(以上引用 週刊新潮)

この件、当初は事務所も認めており、契約が満了する9月以降は好きにすればいい、と告げてきたのだそうです。
話し合いが始まったのが15年9月ですから、当然この“9月”は当時の翌年、16年9月を指しています。
9月以降年末まで話し合いが続けられ、とん挫し、そして翌年16年1月の、あの報道へとつながっていくのです。

参考SMAPを辞めさせたいのはメリーだけ!?全員残留を目指してジャニーズ事務所が密かに動いているらしい

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